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「台頭しつつある「創造階級」は創造活動のために消費する」

『商工にっぽん』2008年12月号、20-21頁.

橋本努

 

 

デザインを買うワケ

 数年前の話になるが、ニューヨークの近代美術館(MoMA)のショップで「無印良品」の文具が売られているのをみて、私は驚いた覚えがある。日本ではごく日常的な文具が、アメリカではまるで最高のデザイン商品であるかのように扱われていたからだ。

デザイン力があれば、あらたな顧客を引きつける。日本の企業も最近、価格競争からデザイン競争へと、次第に軸足を動かしてきた。例えばパナソニック社は、2002年にデザインカンパニーを分社化し、トータルなデザイン力を強化してきた。また今年になって、ロンドンとニューヨークにそれぞれ新たなデザイン事業の拠点を置いたという。06年には、同社の「ななめドラム洗濯機」が、アメリカのアイディア賞で金賞を受賞。同社は、デザイン力と技術力によって、新たな市場を開拓することに成功してきたといえるだろう。低価格を売りにしてきた三洋電機が、最近になってパナソニックに買収され子会社化されたのも記憶に新しい。

パナソニックにせよ無印良品にせよ、日常生活のなかで機能的なデザインを提案することで成功している。しかしよく考えてみると、売れるデザインというのは不思議なものだ。それはあまりにもシンプルなのだから。

最近人気のあるデザインとは、生計に余裕のある人たちが生活を彩るためとか、装飾するとか豊かさを顕示するためといった類のものではない。むしろ売れているのはもっと単純で、虚飾を排した商品である。アップル社のiPodなどはその典型で、ムダを削ぎ落とした美意識がある。

売れているデザインの本質とは、それが消費者の創造性(クリエイティビティ)を掻きたてるような、潜在能力を秘めているようにみえることであろう。大量の音楽を持ち歩くというiPodの提案は、消費者のインスピレーションを刺激し、クリエーターになるという期待を抱かせる。無限に多様な音楽に瞬時にアクセスできることが、脳内の記憶容量を超えたところに、人々の潜在力を喚起するのだ。

あるいはシャープペンシルのような文房具でも、たんなるデザイン性ではなく、無限に大量の文章を書けそうな、そういうグリップ性のある商品が売れている。どうも最近のデザイン商品は、技術力との融合でもって、消費者を無限の創造活動へと誘うような、「潜在力の喚起」を売り物にしているのではないか。

 

創造階級の生活を模倣する

 現代の消費者は、豊かさを謳歌するような消費生活よりも、生活をシンプルにした上で、自分が創造的になれる空間や時間を得たいと思っている。そのような人々を、アメリカでは「創造階級」と呼ぶようになってきた。

 「創造階級」とは、IT産業などで最近台頭してきたアメリカの新興階級で、人種はさまざまであるが、自らの才能を活かして、新たな産業を駆動している人々である。彼らはこれまでの白人の上層階級の人たちとは異なって、高級ブランドや高級車には関心がない。むしろ最高級のトレッキング・シューズやマウンテン・バイクを買って、身体を鍛えることに関心をもっている。あるいは海外旅行に出かけるときには、パック旅行ではなく、少数民族の美術や音楽に触れて、この世界の多文化性をできるだけ豊かにしたいと願っている。読書やネット・コミュニケーションにもこだわりがあり、生活全般が「新たな創造」を掻きたてるような、そういう感性豊かな生き方を模索している。

 

創造の空間を創造する

 そうした創造階級のライフスタイルは、日本でもこれから浸透してくるだろう。その一例として、最近、クリエイティブな書店が各地で成功している。京都市左京区にある「恵文社」は、平日の午前中でもたくさんの若者が足を運ぶ魅力的な書店だ。その空間に身を置くだけでも、クリエイティブな気分を味わうことができる。本はインターネットでも買うことができるけれども、ふだんは接しないような、サブカル本や幻想文学、あるいは凝った雑貨やCDなどが一つの空間に並べられると、イマジネーションを無限にかきたてられる。この店に集まるアート系の若者たちを眺めているだけでも、刺激を受けるだろう。

 札幌でも西区にある「くすみ書房」が、新たな拠点となっている。売れない良書を売るために、コメントや広告、講演会などのあらゆる手段で、読書生活のすばらしさを演出している。とくに「中学生はこれを読め」という企画が人気である。こういう店が町に一件でも生まれると、町全体が文化的な雰囲気に包まれて、学問・芸術の感性が育まれていく。その感性は、すべては創造活動のために消費するという、クリエイティブなライフスタイルへと繋がっていくだろう。創造的であることは、現代の資本主義が求める人材の理想でもあるからだ。